【宮城県名取市】仙台名物「笹かまぼこ」発祥地を訪ねるinゆりあげ港朝市・閖上港・かわまちてらす閖上
私は地域文化の記事を書き続けている。きっかけは、誰にも知られていないような祭りや風習に触れたときの驚きだった。そこには、土地の記憶と人々の祈りが静かに息づいていた。なぜこの味がこの場所にあるのか。なぜこの形で残ってきたのか。その問いを胸に、私は現地を歩き、見て、聞いて、味わいながら記録してきた。
今回訪れたのは、宮城県名取市。仙台市の南に位置する港町であり、「日本一の閖上の赤貝」はもちろんだが、仙台名物「笹かまぼこの発祥地」としても知られている。名取市閖上(ゆりあげ)地区は、かつて伊達藩直轄の港として栄え、白砂青松の海岸線に面した平目の宝庫だった。明治期、閖上港で水揚げされた大量の平目を保存加工するために生まれたのが「手のひらかまぼこ」。これが後に笹かまぼこへと発展していった。
私は、ゆりあげ港朝市で港町の空気を感じながら、笹かまぼこの原型を求めて「佐々直 かわまちてらす閖上店」へ向かった。佐々直は、明治23年に創業の魚商を祖とし、大正期から水産加工業に従事。昭和初期には動力による蒲鉾製造を工業化し、震災を経て今も閖上の味を守り続けている。
地域文化は、こうして日常の中に息づいている。名取のかまぼこは、手のひらに乗るほどの小さな形で、港町の歴史と人々の祈りを伝えてくれる。私はこの味を記録しながら、地域文化の奥深さと美しさを改めて感じていた。
参考
名取市観光物産協会「笹かまぼこ |」
笹かまぼこの原型を発祥地「名取市」で食べる
名取市閖上(ゆりあげ)地区にある「ゆりあげ港朝市」は、毎週日曜と祝日に開かれる名物市だ。朝6時の開場とともに、地元の人々や観光客が集まり、海産物、野菜、加工品、屋台が並ぶ。私は早朝に訪れたが、すでに市場は活気に満ちていた。
焼きホタテの香り、干物を並べる手の動き、威勢のいい呼び声──そこには、港町の暮らしがそのまま息づいていた。震災後に再建されたこの朝市は、地域の復興と再生の象徴でもあり、食と人のつながりを感じられる場所だ。地元の漁師が直接持ち込む鮮魚や、炭火で焼かれる海鮮串、手作りの練り物など、どれも「今ここでしか味わえない」ものばかり。
笹かまぼこを扱う店も多く、各社の焼きたて品をその場で食べ比べることもできる。私は市場の一角で、昔ながらの手焼きかまぼこを見つけた。炭火でじっくり焼かれたそれは、笹の葉の形ではなく、素朴な楕円形。これこそが、笹かまぼこの原型とも言われる「手のひらかまぼこ」だ。焼きたてを頬張ると、ふわりとした食感と魚の旨味が広がり、思わず目を閉じた。港町の朝に、手のひらの味が静かに染み渡っていった。
所在地: 〒981-1204 宮城県名取市閖上東3丁目5−1
電話番号: 022-395-7211
笹かまぼこの原型をかわまちてらす閖上で食べる
笹かまぼこは、戦後の宮城で誕生した魚のすり身加工品で、笹の葉に似た形が特徴だ。だがその原型は、もっと素朴なかたちだった。名取市の老舗「佐々直」が製造する「手のひらかまぼこ」は、まさにその原点を思わせる一品である。
私は「かわまちてらす閖上」にある佐々直の直営店を訪れた。閖上地区は津波被害を受けた地域だが、今では商業施設や飲食店が並ぶ新しい街並みが広がっている。店内には、焼きたてのかまぼこが並び、職人が一枚一枚丁寧に焼いていた。
「手のひらかまぼこ」は、笹かまぼこよりも厚みがあり、形も不揃い。だがそれがいい。手で成形し、炭火で焼くことで、表面は香ばしく、中はふっくらと仕上がる。私はプレーンとチーズ入りの2種を購入し、店先のベンチで食べた。プレーンは魚の旨味がストレートに伝わり、チーズ入りは洋風のコクが加わって、どちらも飽きのこない味だった。
このかまぼこは、冷蔵技術が未発達だった時代に、保存性と栄養を兼ね備えた加工品として重宝された。漁港の町で、魚を余すことなく使い切る知恵が生んだ味──それが、笹かまぼこの原風景なのだ。佐々直の沿革を辿れば、明治期に平目の保存加工に着目した高橋清治の試みが、やがて「手のひらかまぼこ」へと結実し、昭和に入って工業化され、震災を経て今も受け継がれていることがわかる。
佐々直 かわまちてらす店
所在地:〒981-1203 宮城県名取市閖上中央1丁目6 M6 かわまちてらす閖上
電話番号:0223853370
名取市と笹かまぼこ発祥の由来・歴史
名取市は、仙台湾に面した港町であり、古くから漁業と魚の加工が盛んだった。特に閖上港は、シラウオやカレイ、サケなどの水揚げで知られ、魚をすり身にして加工する技術が地域に根づいていた。仙台藩の時代には、白砂青松の海岸線が50里にわたって続き、平目の宝庫として知られていたという。
戦後、冷蔵技術の発達とともに、魚の保存・流通が可能になり、すり身加工品としてのかまぼこが発展した。その中で、見た目にも美しく、贈答にも適した「笹の葉型」のかまぼこが考案され、宮城の名物として定着していった。名取市はその発祥地とされ、今も多くのかまぼこメーカーが拠点を構えている。
佐々直のような老舗は、鮮魚仲買商から始まり、昭和初期には動力による製造を導入し、昭和24年には蒲鉾専業へと転換。震災で工場を失いながらも、閖上の地で再建を果たし、今も「手のひらかまぼこ」を焼き続けている。この味は、単なる加工品ではなく、魚を余すことなく使い切る知恵、保存性を高める技術、そして贈答文化に応える美意識──それらが融合した、地域の暮らしと産業の結晶なのだ。
まとめ
名取市で出会った笹かまぼこは、単なる名物ではなかった。それは、港町の暮らしと祈りが宿る味だった。ゆりあげ港朝市の活気、佐々直の職人の手仕事、炭火の香り──そのすべてが、地域の記憶を語っていた。笹かまぼこの原型とされる「手のひらかまぼこ」は、魚を余すことなく使い切る知恵と、保存性を高める工夫、そして人の手で形づくる温もりが詰まっている。
この味が名取で生まれた背景には、仙台藩時代から続く閖上港の漁業文化がある。平目の宝庫と呼ばれた海と、魚を加工する技術が結びつき、明治期にはすでに「手のひらかまぼこ」が誕生していた。それがやがて笹の葉型へと進化し、宮城を代表する名産品となった。震災で工場を失いながらも、佐々直は閖上の地で再建を果たし、今も変わらぬ味を守り続けている。
地域文化は、こうして日常の中に息づいている。名取のかまぼこは、手のひらに乗るほどの小さな形で、港町の歴史と人々の祈りを伝えてくれる。私はこの味を記録しながら、地域文化の奥深さと美しさを改めて感じていた。笹かまぼこは、名取の海と人の手が生んだ、暮らしの芸術品なのだ。