【宮城県大崎市】世界農業遺産の米文化・ササニシキを訪ねるin古川

地域文化を訪ねることは、土地の記憶を辿ることだと思っている。制度や観光では見えない、暮らしの中に息づく文化の源流──それは、風土と人の営みが織りなす静かな物語だ。とりわけ「米」は、日本人の生活と精神に深く根ざした存在である。日本人は農耕民族であり、大陸から稲作が伝わって以降、あっという間にその生態系を変えてしまった。縄文時代の終わりと弥生時代の始まりは、稲作と鉄の到来によってもたらされたと言われている。

宮城県大崎市古川には、貝塚や縄文時代の遺跡が今も残されている。かつて狩猟採集を中心とした生活を営んでいたこの地が、稲作の技術とともに生活様式をガラッと変え、やがて日本を代表する米の品種「ササニシキ」が誕生する米処となったことは、文化の連続性と変容の象徴でもある。米は単なる穀物ではない。水を引き、土を耕し、神に祈り、家族で食卓を囲む──そのすべてが米づくりの営みの中にある。

私はその背景を知りたくて、古川の田園地帯へと足を運んだ。米を通して地域文化を探る旅は、静かで、しかし確かな豊かさをもたらしてくれる。土地の風景に耳を澄ませば、そこには水の音と太鼓の響き、そして人々の祈りが聞こえてくる。

参考

古川エリア – 大崎耕土「世界農業遺産」


ササニシキの源流を訪ねて──大崎市古川の田園へ

大崎市古川は、宮城県北部に広がる大崎平野の中心地。肥沃な土壌と広大な田園が広がるこの地は、古くから米づくりが盛んな地域であり、昭和31年には古川農業試験場でササニシキが誕生した。ササニシキは、あっさりとした食味と粒立ちの良さで人気を博し、かつてはコシヒカリと並ぶ二大銘柄として全国に名を馳せた。だが、冷害に弱いという性質から平成以降は生産量が激減。それでもなお、この地ではササニシキを守り続ける農家がいる。

奥羽山脈から吹き下ろす冷たい風、積雪、冷害──厳しい自然条件の中でも、祖先の代から続く水利と土壌の恵みを活かし、米づくりを続けてきた土地。古川には、縄文時代の遺跡が残る一方で、稲作文化が根づき、やがて日本を代表する米の品種が生まれた。これは、文化の連続と変容が重なり合う奇跡のような場所だ。

私はその田園を歩きながら、米が単なる作物ではなく、風土と人の営みが織りなす文化であることを実感した。そして、そのササニシキや米づくりを支えてきたのが、地域に張り巡らされた農業用水路である。


後藤江と後藤江潜穴──丘陵を貫いた命の水路

古川地域の米づくりを語る上で欠かせないのが「後藤江」と呼ばれる農業用水路の存在だ。江合川中流域の三丁目取水口から南小林まで約4kmにわたって通じるこの水路は、江戸時代に整備されたもので、その中間部には「後藤江潜穴」と呼ばれる地下水路がある。龍興院の所在する丘陵下を約100mにわたって潜らせたこの潜穴は、当時の土木技術の粋を集めた構造であり、丘陵地帯にも安定した水を供給することを可能にした。

このような水路の存在は、日本独自の「農業土木」の技術力を物語っている。かつて司馬遼太郎は「農業土木という英語は存在しない」と語った。欧米には、田畑を潤すための灌漑工事という概念がほとんどなく、強いて言えば干潟を風車で農地転換する程度の技術しかなかった。だが日本では、一級河川同士を接続し、遊水地を設け、水路を新たに掘り、農地そのものをリデザインする術があった。

後藤江潜穴は、その象徴とも言える存在だ。水を通すために丘陵を貫くという発想と実行力は、まさに農業土木の極みである。私はその水の音を聞きながら、米づくりとは水づくりであり、文化づくりでもあることを改めて感じた。後藤江は、古川の田園文化を支える命の水路なのだ。


三丁目頭首工──近代水利の象徴と米づくりの鼓動

後藤江と並び、古川の米づくりを支える水利施設として重要なのが「三丁目頭首工」である。これは江合川から農業用水を分配するための施設で、近代以降の水利技術の象徴とも言える存在だ。頭首工の水門から流れ出る水は、まるで米づくりの鼓動のように感じられ、地域の田園に命を吹き込んでいる。

この施設は、単なるインフラではない。水を制御し、必要な場所に届けるという技術の背景には、土地の地形や気候、そして人々の知恵と努力がある。水門の音に耳を澄ませば、そこには先人たちの工夫と祈りが聞こえてくる。米づくりは、自然との対話であり、技術と信仰の融合でもある。

三丁目頭首工は、古川の米文化の鼓動を今も静かに打ち続けている。水が流れるということは、文化が流れているということでもある。私はその流れの中に身を置きながら、次なる文化の層──祈りと祝祭が交差する斗瑩稲荷神社へと向かった。

斗瑩稲荷神社の北極星信仰

宮城県大崎市古川に鎮座する斗瑩稲荷神社(とけい・いなりじんじゃ)は、五穀豊穣を祈る稲荷信仰の拠点として、地域の農耕文化と深く結びついてきた社である。その名に込められた意味もまた、土地の信仰の奥深さを物語っている。「斗瑩」とは北極星を指す言葉であり、斗は北斗七星、瑩は蛍のように光る星を意味する。つまり、夜空の中心に輝く星に祈りを捧げるという思想が、この社の根底にある。

北極星は古来より、方角を定める基準であり、航海や農耕においても重要な存在だった。動かぬ星に祈るという行為は、揺るぎない実りへの願いでもある。斗瑩稲荷神社は、そうした天体信仰と農耕信仰が交差する場所として、地域の人々に崇敬されてきた。

拝殿には大きな太鼓が鎮座しており、斗瑩祭の際にはこの太鼓を大八車に乗せて町を練り歩く。太鼓を打ち鳴らしながら進む様子は、神様と人々がともに遊び、豊穣を祝う祭礼のかたちそのものだ。斗瑩祭囃子は、賑やかで躍動感のある曲調が特徴で、五穀豊穣の喜びを音に託して表現する。太鼓の響きは、田畑を潤す水の音にも似て、米づくりのリズムと重なり合う。

なぜこの地に稲荷の社があるのか──それは、大崎平野という広大な田園地帯が、古来より稲作を中心とした生活文化を築いてきたからに他ならない。

参考

所在地: 〒989-6252 宮城県大崎市古川荒谷斗瑩28

電話番号: 0229-28-2644

正一位 斗瑩稲荷神社

ささ結び──ササニシキの系譜を継ぐ、大崎平野の傑作米

斗瑩稲荷神社を後にし、私は車で古川の町へ戻った。神社は市街地から少し離れた静かな丘の麓にあり、周囲には田園が広がっている。太鼓の音は聞こえなかったが、拝殿に鎮座する太鼓や祭囃子の由来を知ることで、米づくりと祈りの関係を肌で感じることができた。車窓から見える水田の風景は、まさにその祈りの実りを象徴しているようだった。

古川の中心部にある道の駅古川は、地域の食と文化が交差する場所。館内には地元野菜や漬物、地酒が並び、暮らしの中の文化が息づいていた。米コーナーには「ささ結び」のパッケージが整然と並び、試食の案内や生産者の紹介パネルも設置されていた。私は迷わず一袋を手に取った。

「ささ結び」は、ササニシキの食味を継承しつつ、冷害に強く、現代の気候にも対応できるように改良された品種。名前には「ササニシキの遺伝子を結ぶ」「人と人を結ぶ」「地域と未来を結ぶ」といった意味が込められている。炊き上がりは艶やかで、粒立ちが良く、口に含むと上品な甘みが広がる。和食との相性が抜群で、寿司米としても高い評価を受けている。

帰宅後、炊きたての「ささ結び」を味わいながら、私はこの米が土地の水と祈りと技術によって育まれたことを実感した。「ささ結び」は、過去と未来を結ぶ米であり、大崎平野がもたらした静かな傑作である。

参考

大崎耕土『ささ結』宮城県産

まとめ

大崎市古川を訪ねて感じたのは、米づくりが単なる農業ではなく、風土・技術・信仰が重なり合う文化の営みだということだった。ササニシキという銘柄米の誕生は、冷害という自然の厳しさと、肥沃な大崎平野という恵みの交差点から生まれた奇跡のような出来事である。その背景には、後藤江潜穴や三丁目頭首工といった水利技術の粋があり、米づくりを支える命の水が静かに流れていた。

斗瑩稲荷神社では、太鼓の音こそ聞かなかったが、社に込められた祈りのかたちと、祭囃子の由来に触れることで、米づくりが祝祭とともにあることを実感した。そして、道の駅古川で購入した「ささ結び」は、ササニシキの系譜を受け継ぎながら、地域の未来を結ぶ存在として育まれている。

地域文化を訪ねることは、土地の記憶を味わうことでもある。水の音、太鼓の響き、炊きたての米の香り──それらすべてが、大崎市古川という土地の豊かさを静かに語っていた。私はその声に耳を澄ませながら、米文化の奥深さに触れる旅を終えた。そして、またこの地を訪れたいと思った。次は、稲刈りの季節に。風に揺れる稲穂の音を聞きながら。

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