【宮城県仙台市】堤焼とは?特徴や歴史、仙台で購入できる場所、体験、堤人形とは、窯元乾馬窯を訪ねる。

仙台市青葉区の北端、かつて奥州街道の宿場町として栄えた堤町を歩くと、今もなお土地の記憶を宿した静かな空気が漂っている。江戸時代から続く「堤焼(つつみやき)」は、この町で生まれ、仙台の暮らしと文化を映し出す伝統工芸品だ。私はこの堤焼を訪ねる旅に出た。城下町の面影を残す町並みを歩きながら、窯元を探す時間は、まるで過去と現在をつなぐ道を辿るようだった。

堤焼は、黒釉や白釉、そして大胆に釉薬を流しかける「海鼠釉(なまこゆう)」が特徴的で、素朴ながらも力強い美しさを持つ。器を手にすると、土の温もりと職人の息遣いが伝わってくるようで、単なる日用品ではなく、文化の結晶であることを実感する。仙台藩の庇護を受けて発展した堤焼は、農村の生活道具から茶の湯や贈答品にまで広がり、庶民の暮らしを支えながら芸術性を高めていった。

旅の途中で出会った窯元「乾馬窯」では、今も職人が一つひとつ丁寧に器を仕上げている。炎の中で土が焼き締められ、釉薬が流れ落ちる瞬間に生まれる偶然の美──それが堤焼の魅力だと語ってくれた。仙台の町に息づく堤焼は、土地の風土と人々の暮らしを映す鏡であり、訪ねる者に静かな感動を与えてくれる。

参考

堤焼乾馬窯 仙台・宮城の伝統工芸品

仙台市「主な収蔵品 5 陶磁

Googleart&culture「堤焼乾馬窯

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堤焼とは?

堤焼とは、仙台市青葉区堤町で江戸時代から作られてきた陶器である。最大の特徴は「海鼠釉」と呼ばれる技法で、黒と白の釉薬を大胆に流しかけることで生まれる独特の模様にある。偶然の流れが器の表情を決めるため、同じものは二つとない。素朴で力強い美しさは、仙台の風土を映し出すものとして高く評価されている。

堤焼は、日常の生活道具として庶民に親しまれた一方で、茶の湯や贈答品にも用いられた。器の厚みや質感は丈夫で、農村の暮らしに適していたが、その美しさは武家や町人の間でも愛された。特に黒釉と白釉の対比は、仙台藩の美意識を反映しているとされる。

現代においても、堤焼は仙台の伝統工芸品として認定され、窯元「乾馬窯」などで制作が続けられている。観光土産としても人気があり、仙台市博物館や地元の工芸品店で購入できる。堤焼は単なる器ではなく、仙台の歴史と文化を体感できる存在であり、訪れる人に土地の記憶を伝えてくれる。

参考

宮城県「宮城の伝統的工芸品/堤焼

堤焼の歴史

堤焼の歴史は、江戸時代元禄年間(1688〜1704)にまで遡る。仙台藩主・伊達綱村が京都から陶工を招き、堤町に窯を築かせたことが始まりとされる。堤町は奥州街道の出入り口として栄え、良質な土が採れる土地であったため、陶器づくりに適していた。こうして堤焼は仙台藩の庇護を受けながら発展していった。

当初は農具や生活道具として庶民の暮らしを支えたが、次第に茶の湯や贈答品にも用いられるようになり、芸術性を高めていった。黒釉や白釉を流しかける「海鼠釉」の技法は、堤焼独自の美意識を生み出し、京都の上品さとは異なる東北らしい力強さを備えていた。

江戸時代中期には「西の伏見、東の堤」と称され、京都の伏見人形と並び称されるほど人気を博した。堤焼から派生した「堤人形」もまた、庶民の暮らしに彩りを添え、縁起物として親しまれた。藩政期の仙台城下町において、堤焼は生活と文化を結びつける重要な存在だったのである。

現代では窯元の数は減ったものの、「乾馬窯」を中心に技術が継承されている。堤焼は仙台の歴史と文化を体感できる工芸品として、今も人々の暮らしに息づいている。

堤焼の特徴と魅力

堤焼の器を手に取ると、まず目に飛び込んでくるのは大胆な釉薬の流れである。黒釉と白釉を重ね、さらに「海鼠釉(なまこゆう)」と呼ばれる技法で釉薬を流しかけることで、偶然に生まれる模様が器の表情を決定づける。流れ落ちる釉薬の跡は、まるで自然の景観を切り取ったかのようで、同じものは二つと存在しないという。これこそが堤焼の最大の魅力であり、素朴さと力強さを兼ね備えた美学がそこに宿っていると感じた。

堤焼は、日常の生活道具として庶民に広く使われてきた。厚みのある器は丈夫で、農村の暮らしに適していたが、その美しさは武家や町人の間でも愛された。茶の湯の席に用いられることもあり、仙台藩の美意識を反映した器として評価された。特に黒と白の釉薬の対比は、東北の風土を映し出す力強さを持ち、京都や江戸の洗練された焼き物とは異なる独自の魅力を放っている。

また、堤焼の器には「偶然の美」が宿る。釉薬の流れや焼成の加減によって生まれる模様は、職人の技と自然の力が融合した結果であり、計算では生み出せない表情を持つ。器を眺めると、土の温もりと炎の力が感じられ、使う人の暮らしに寄り添う存在となる。この美意識は手元にあると分かりやすいので、ぜひ一碗買ってみてほしい。

堤人形とは?

堤人形は、堤焼から派生した郷土人形であり、仙台の文化を象徴する存在だ。こちらを合わせて紹介したい。

その起源は江戸時代に遡る。堤町で堤焼が盛んに作られていた頃、足軽たちが冬場の副業として端材を用いて人形を作り始めたのが始まりとされる。堤焼の土や窯など制作条件が整っていたため作りやすかったのだろうか。やがて藩主・伊達家の庇護を受け、歌舞伎や浮世絵を題材にした人形が次々と生み出され、庶民の暮らしに彩りを添えていった。

堤人形の最大の特徴は、鮮やかな朱色である。植物染料の蘇芳を用いた赤は、魔除けや厄除けの意味を持ち、縁起物として重宝された。猫が鯛を抱える姿や、歌舞伎の名場面を切り取った人形など、題材は多彩で、どれも人々の願いや祈りを映し出している。江戸時代中期には「西の伏見、東の堤」と称され、京都の伏見人形と並び称されるほど人気を博した。

堤人形は、単なる玩具ではなく、仙台城下の文化と庶民の暮らしを映す存在だった。藩主の庇護と町人文化の融合から生まれたこの人形は、仙台の歴史を語る上で欠かせない工芸品である。現代でも「つつみのおひなっこや」や「芳賀堤人形製造所」などの工房で制作が続けられ、干支人形や雛人形として親しまれている。

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窯元「乾馬窯」を訪ねる

仙台市青葉区堤町にある窯元「乾馬窯」を訪ねたのは、秋の澄んだ空気が広がる日だった。住宅地の一角に佇む工房の前に立つと、すでに空気が変わっていた。中に入ると、炎の熱気と土の匂いが漂い、職人の手仕事が息づいているのを感じた。

乾馬窯では、堤焼の伝統技法が今も守られている。土を選び、炉で熱し、何度も打ち、釉薬を流しかける。焼成の過程で生まれる偶然の模様は、職人の技と自然の力が融合した結果であり、堤焼の魅力そのものだ。工房の主は「同じものは二つとできない。それが堤焼の面白さ」と語ってくれた。

私は工房で器を手に取り、その重みと質感を確かめた。厚みのある器は丈夫で、日常の暮らしに適しているが、その美しさは芸術品としても評価される。釉薬の流れが生み出す模様は、まるで自然の景観を切り取ったかのようで、眺めているだけで心が落ち着く。

乾馬窯では陶芸体験も行われており、土を触り、釉薬をかける体験は旅の思い出として格別だ。自分の手で作った器を持ち帰ることで、堤焼の文化を暮らしに迎え入れることができる。

窯元「乾馬窯」を訪ねることは、仙台の文化の一端を体感する旅であり、職人の技と心に触れる貴重な時間だった。堤焼は単なる器ではなく、仙台の歴史と文化を映す存在であり、乾馬窯はその火を絶やさぬ守り人なのだ。

堤焼乾馬窯

所在地: 〒981-3121 宮城県仙台市泉区泉区上谷刈赤坂8−4

仙台で堤焼を購入できる場所

堤焼は仙台の伝統工芸品として、今も市内のさまざまな場所で手に入れることができる。

地元の百貨店「藤崎」や「仙台三越」では、宮城の工芸品を集めた売り場に堤焼の器が並び、贈答品や記念品として人気を集めている。また、仙台パルコにある「東北スタンダードマーケット」や「仙台メディアテーク」では、若い世代にも親しみやすい形で堤焼が紹介されており、現代のライフスタイルに合う器や小物が販売されている。

さらに、青葉区一番町にある老舗「こけしのしまぬき」でも堤焼が取り扱われており、こけしや郷土玩具と並んで仙台の文化を象徴する品として展示されている。そのほか仙台市内の多くのお店で取り扱いがあるようだ。

こうした店舗を訪れると、堤焼が単なる工芸品ではなく、仙台の暮らしに根づいた文化であることを実感できる。器を手に取ると、釉薬の流れが生み出す偶然の美が目に映り、職人の技と土地の記憶が宿っていることを感じる。観光の途中で立ち寄れる場所に堤焼が並んでいるのは、仙台の町が今もこの文化を誇りとしている証だろう。

堤焼体験

堤焼の魅力をより深く知るには、実際に自分の手で土を触り、器を作る体験が欠かせない。「乾馬窯」では、堤焼の伝統技法を学べる体験教室が開かれている。ここでは、土をこねて形を作る工程を実際に体験できるようだ。その後の釉薬や焼成によって模様が変わるため、完成品は世界に一つだけの器となる。

体験は初心者でも安心して参加できるように設計されており、職人が丁寧に指導してくれるようだ。土を触る感覚は素朴で温かく、器の形が少しずつ整っていく過程は、まるで自分の暮らしに文化を迎え入れるような時間だろう。流れ落ちる釉薬が偶然に生み出す模様は、堤焼ならではの「偶然の美」を体感できる瞬間でもある。

完成した作品は窯で焼き上げられ、後日受け取ることができる。自分の手で作った器を日常で使うと、仙台の旅の記憶が暮らしの中に息づく。体験を通じて、堤焼が単なる工芸品ではなく、土地の風土と人々の暮らしを映す文化であることを実感できるだろう。

まとめ

仙台市青葉区堤町で生まれた堤焼は、単なる陶器ではなく、土地の歴史と人々の暮らしを映す文化の結晶である。江戸時代元禄年間に藩主・伊達綱村が京都から陶工を招き、堤町に窯を築かせたことから始まった堤焼は、良質な土と交通の要衝という立地条件に支えられ、農具や生活道具として庶民の暮らしを支えながら、茶の湯や贈答品にも用いられる工芸品へと発展していった。黒釉や白釉、そして大胆な流しかけによる海鼠釉の技法は、偶然の美を生み出し、東北らしい力強さと素朴さを兼ね備えた器を生み出した。

堤焼から派生した堤人形もまた、仙台の文化を象徴する存在である。足軽たちが副業として端材を用いて作り始めた人形は、藩主の庇護を受けて歌舞伎や浮世絵を題材にした作品へと発展し、庶民の暮らしに彩りを添えた。鮮やかな朱色は魔除けや厄除けの意味を持ち、猫が鯛を抱える姿や役者人形など、多彩な題材が人々の祈りを映し出している。江戸時代中期には「西の伏見、東の堤」と称され、京都の伏見人形と並び称されるほどの人気を博した。堤人形は単なる玩具ではなく、仙台城下の文化と庶民の願いを体現する工芸品であり、今も工房で制作が続けられている。

現代では窯元「乾馬窯」が堤焼の技術を継承し、炎と土の力を融合させた器を生み出している。工房を訪ねると、職人が「同じものは二つとできない」と語るように、釉薬の流れや焼成の加減によって生まれる模様は唯一無二の美を宿す。陶芸体験を通じて自分の手で器を作ることもでき、完成した作品を日常で使うことで、仙台の旅の記憶を暮らしに迎え入れることができる。堤焼は観光土産としても人気で、藤崎や仙台三越、仙台パルコの東北スタンダードマーケット、こけしのしまぬきなどで購入できる。こうした店舗に並ぶ堤焼は、仙台の町が今もこの文化を誇りとしている証であり、観光の途中で立ち寄る人々に土地の記憶を伝えている。

投稿者プロ フィール

東夷庵
東夷庵
地域伝統文化ディレクター
宮城県出身。京都にて老舗和菓子屋に勤める傍ら、茶道・華道の家元や伝統工芸の職人に師事。
地域観光や伝統文化のPR業務に従事。

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