【宮城県仙台市】難読地名「土樋」の読み方や語源・由来をたずねるin若林区・孫兵衛掘跡の碑

仙台市若林区に「土樋(つちとい)」という地名がある。地元の人には馴染み深いが、県外の人にはまず読めない難読地名のひとつだ。仙台にある私立大学「東北学院大学」の土樋キャンパスがあり、仙台で学生時代を過ごした人たちにはなじみ深い地名だ。私はこの「土樋」という言葉に惹かれ、その語源と由来を探るべく現地を訪れた。

地名とは、土地の記憶を映す鏡である。とくに「土樋」という名には、水と暮らしの関係が色濃く刻まれている。江戸時代、この地には土で作られた樋(とい)が架けられ、水が流されていたという。広瀬川の北岸に沿って東へと低くなる地形を活かし、灌漑や生活用水のための水路が整備されていた。その名残が「土樋」という地名に残っている。

現地を歩くと、かつての堀の跡を示す「孫兵衛堀跡の碑」が静かに佇んでいた。この堀を築いたのが、江戸時代初期に伊達政宗によって滋賀から招かれた灌漑工事の名手・川村孫兵衛である。彼は北上川の改修や宮城県北部の新田開発を成し遂げ、石巻では日和山に石像が建てられ、川開きまつりではその功績が讃えられている。

その孫兵衛が、仙台の堀も手がけていたとは——。私は碑の前に立ち、仙台の都市構造と水の記憶、そして政宗の都市設計に思いを馳せた。地名に刻まれた水の痕跡は、今も静かに語りかけてくる。

参考

仙台市「道路の通称として活用する歴史的町名の由来(《土樋》通り)」「町名に見る城下町

所在地:〒984-0065 宮城県仙台市若林区

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土樋の読み方と語源・由来

「土樋」と書いて「つちとい」と読む。仙台市若林区に位置するこの地名は、難読地名として知られているが、その語源・由来には明確な水の記憶がある。

江戸時代、この地域は広瀬川の北岸に沿って東へと低くなる下町段丘に位置していた。地形を活かして、土で作られた樋(とい)を架け、水を流す灌漑施設が整備されていたことから、「土樋」と呼ばれるようになった。つまり、「土の樋」が語源であり、生活用水や農業用水を通すための工夫が地名に刻まれている。

寛永年間には餌指屋敷が置かれ、正保の絵図には鷹師屋敷が描かれている。江戸末期には、組士たちが水引や染紙、提灯の上絵などの内職を行っていたことも記録されており、水と手仕事が密接に結びついた地域だったことがうかがえる。

また、明治期には土樋新丁が開設され、愛宕橋広瀬川に架けられ、市内電車が開通するなど、都市の発展とともに地名も変化していった。現在の「土樋一丁目」は、かつて「上土樋」と呼ばれていた地域にあたる。

「土樋」という地名は、単なる呼称ではない。水と地形、そして人の暮らしが織りなす記憶のかたちだ。私はこの言葉の響きに、仙台という都市の根底に流れる水の文化を感じた。

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土樋を訪ねて——川村孫兵衛と仙台の水路

土樋の町を歩いていると、「孫兵衛堀跡の碑」がひっそりと佇んでいた。ここは、江戸時代初期に築かれた水路の跡であり、その名は川村孫兵衛に由来する。

川村孫兵衛重吉は、伊達政宗が滋賀から招いた灌漑工事の名手である。彼は北上川の改修や江合川・迫川の整備を手がけ、宮城県北部の新田開発を成し遂げた人物だ。石巻では日和山に石像が建てられ、毎年8月に開催される「川開きまつり」では、その功績が讃えられている。孫兵衛船競漕や供養祭など、地域の人々が彼の偉業を今も語り継いでいる。

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その孫兵衛が、仙台の堀も築いていたとは——。碑の前に立った私は、政宗の都市設計における水路の重要性を改めて実感した。仙台城下の用水路整備は、都市の生活基盤を支えるものであり、孫兵衛の技術がそこに活かされていたのだ。

孫兵衛は、工事の設計だけでなく、資金の捻出や年貢の軽減交渉まで行い、現場の人々に寄り添いながら工事を進めたという。その姿勢は、単なる技術者ではなく、地域の未来を見据えた都市計画者だったことを物語っている。

碑の周囲には、かつて水が流れていた痕跡は残っていない。だが、地名として「土樋」が残り、碑が静かに語りかけてくる。私はその前でしばらく立ち尽くし、水と都市と人の記憶に耳を澄ませた。

孫兵衛堀跡の碑

所在地:〒984-0065 宮城県仙台市若林区土樋

まとめ

仙台市若林区の「土樋(つちとい)」という地名は、難読でありながら、土地の記憶を静かに語る言葉だった。土で作られた樋に水を流したという由来は、都市の基盤に水がいかに重要だったかを示している。

現地を歩き、孫兵衛堀跡の碑に立ったとき、私はその記憶の深さに触れた。川村孫兵衛という人物は、伊達政宗によって滋賀から招かれ、北上川の改修や石巻の築港、仙台城下の水路整備など、宮城の水の文化を築いた立役者だった。石巻では今も彼を讃える祭りが行われているが、仙台にもその足跡が確かに残っていた。

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「土樋」という地名は、単なる呼称ではない。水と地形、そして人の暮らしが織りなす記憶のかたちだ。政宗の都市構想において、水路は生活と防災、そして都市美の要でもあった。孫兵衛の技術と精神は、その構想を支える柱だったのだ。

私は碑の前で手を合わせ、静かに祈った。地名に刻まれた水の記憶は、今も風景の中に息づいている。土樋——その響きには、仙台の都市の根底に流れる水の文化と、人の営みの歴史が宿っていた。

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