宮城の2026午年ゆかり神社・寺院まとめ|馬上蠣崎神社・二十三夜堂・早馬神社・竹駒神社・荒雄川神社を巡る文化旅

宮城県には、古くから「馬」と深い縁を持つ神社や寺院が数多く残されている。仙台平野は軍馬・農耕馬の育成に適した土地であり、古代の東山道・東海道が交わる交通の要衝であったことから、馬は生活・軍事・信仰の中心に位置づけられてきたと聞いた。こうした歴史的背景から、宮城には午年にゆかりのある神社やお寺が点在し、“馬にゆかりある聖地”が数多く存在するという。
仙台市には、伊達政宗の愛馬「五島(ごとう)」を祀る馬上蠣崎神社がある。忠義を尽くした名馬の物語が今も息づき、政宗の心情や仙台藩の宗教文化を感じられる貴重な場所だ。また、仙台市中心部には、関東以北で唯一、午年生まれの守り本尊「得大勢至菩薩」を祀る賢聖院 二十三夜堂があり、午年の参拝者や馬にゆかりのある人々が静かに手を合わせる姿が見られる。
さらに南へ向かえば、岩沼市の竹駒神社がある。伏見稲荷・豊川稲荷と並ぶ「日本三大稲荷」の一社であり、御神馬舎や馬事博物館を備えるなど、稲荷信仰と馬文化が深く結びついた神社として全国的に知られている。そして大崎市には名馬「金華山号」「池月」にゆかりある荒雄川神社、三陸沿岸の気仙沼市には、安産・子育て・勝負運の神として親しまれる早馬神社が鎮座し、「早くうまくいく」ご利益を求めて多くの参拝者が訪れる。
午年に神社や寺院を巡りたい人、馬にゆかりのある場所を探している人、宮城の歴史文化を深く味わいたい人にとって、これらの聖地はまさに“文化の交差点”である。宮城の馬文化を辿る旅は、干支を超えて、土地の記憶と祈りに触れる豊かな時間をもたらしてくれる。
宮城県の正月文化に興味のある方はこちらの記事「お正月様」「仙台門松」「玉紙」も合わせてご覧ください。
※記事はネットやSNS情報も参考にしているため、誤りがある可能性もあります。また筆者が訪問した時点での過去情報を掲載しており、また午年は参拝客数が大幅に増えることが予想されるため、参拝時には必ず神社や寺院の公式サイトやSNSより最新情報をご確認ください。
【仙台市】馬上蠣崎神社(うばがみかきざきじんじゃ)
仙台市青葉区片平に鎮座する馬上蠣崎神社は、伊達政宗の愛馬「五島(ごとう)」を祀る全国的にも珍しい神社である。五島は家臣・後藤信康が献じた名馬で、政宗の戦場を支えた忠義の象徴として語り継がれている。
慶長十九年(1624)、政宗の大坂出陣に随行できなかった五島は、その悲しみのあまり仙台城本丸の崖から身を投じたと伝えられる。政宗は深く悲しみ、五島を蠣崎の地に葬り祠を建てたことが神社の起源であるという。
明治期には陸軍用地化に伴い良覚院跡へ移転し、昭和三十七年の火災後に再建されたという。境内には修験道の開祖・役行者の石像が残り、かつてこの地が修験寺院「良覚院」であった記憶を今に伝えていた。
周辺には良覚院丁公園や池泉回遊式庭園「緑水庵」が整備され、参拝後に静かな散策を楽しむことができる。馬上蠣崎神社は、政宗と五島の物語、修験道の歴史、市民の暮らしが重層的に交差する場所であり、仙台の文化の深みを感じさせる神社である。
参考
宮城県神社庁「蠣崎神社(かきざきじんじゃ)」
▶ 【2026午年・宮城県仙台市】伊達政宗の愛馬「五島」を祀る「馬上蠣崎神社」の読み方やご利益、由来をたずねる|五島は小牛田の後藤信康の馬?実際にいってみた
【仙台市】二十三夜堂(賢聖院)
仙台市青葉区北目町──市営地下鉄「五橋駅」からほど近いビル街の一角に、静かに佇む寺院がある。それが 賢聖院 二十三夜堂(けんじょういん にじゅうさんやどう) である。関東以北では唯一、午(うま)年生まれの守り本尊「得大勢至菩薩(とくだいせいしぼさつ)」を祀る寺院として知られているという。ネットやSNSを見ると、午年生まれの人々や馬にゆかりのある参拝者が訪れる特別な場所となっていた。
ご本尊の縁日は毎月23日。勢至菩薩は月の化身とされ、かつてこの地では月の出を待って祈りを捧げる「二十三夜講」が営まれていた。その名残から、この寺院は「二十三夜堂」と呼ばれるようになったという。
訪れたのは冬晴れのある日だった。境内に足を踏み入れると、街の喧騒がふっと遠のき、静かな空気が広がる。本堂は令和4年に耐震構造で新築されたばかりで、木の香りが漂う明るい空間が迎えてくれる。受付で「午九(うまく)いくお守り」を授かり、ご本尊の前で手を合わせる。真言は「おん さんざんざんさく そわか」。煩悩を打ち砕き、智慧と勢いを授けてくれるとされる言葉である。
境内には東日本大震災の慰霊供養塔や六観音石幢があり、祈りの場としての深みを感じさせる。かつては富くじや縁日で賑わったこの地も、今は静かに人々の願いを受け止めている。午年に限らず、人生の岐路に立つ人、智慧を求める人、心を整えたい人にとって、二十三夜堂はそっと灯をともしてくれるような場所である。
▶【2026午年・宮城県仙台市】賢聖院 二十三夜堂とは?勢至菩薩のご利益と参拝・御朱印・アクセス情報を紹介【画像付】
参考
仙台放送「2026年は午年 「馬」ゆかりの賢聖院に注目集まる 「うまくいく」9頭のお守りが人気〈仙台市〉」
【岩沼市】竹駒神社
岩沼市の竹駒神社は、伏見稲荷・豊川稲荷と並ぶ「日本三大稲荷」の一社として全国的に知られている。創建は承和9年(842年)。小野篁が伏見稲荷の神霊を勧請し、奥州鎮護の神として祀ったことが始まりとされる。
竹駒神社は稲荷神を祀る神社であるが、実は「馬」との関係が非常に深い。境内には御神馬舎があり、白馬の像が祀られているほか、馬事博物館には伊達政宗騎馬像の石膏原型や馬具などが展示されている。稲荷信仰と馬文化が結びついた神社として、午年には特に多くの参拝者が訪れる。境内には2026年の午年にちなみ、巨大絵馬が設置されているようだ。
竹駒神社の歴史、社名の由来、白狐伝説、そして馬との関係については、以下の記事で詳しく紹介している。
▶ 竹駒神社の由来と稲荷信仰の背景|なぜ日本三大稲荷が岩沼にあるのか
参考
TBC東北放送「午年は特別な年…竹駒神社で「12年に一度」の特大絵馬お披露目 新年の準備進む 宮城・岩沼市」
【気仙沼市】早馬神社(はやまじんじゃ)
宮城県気仙沼市唐桑町。リアス式海岸が織りなす美しい入江を見下ろす高台に、静かに佇む神社がある。早馬神社(はやまじんじゃ)──鎌倉時代に創建され、源頼朝の命により北条政子の安産祈願を執り行ったという由緒を持つ古社である。以来、安産・子育ての神として、そして「早くうまくいく」ご利益を授ける神として、地域の人々に篤く信仰されてきた。
「早馬」とは、古代・中世において急報や吉報を届けるための使者を意味する言葉であり、「良い知らせが早く届く」象徴という説があるらしい。現代の「うまくいく」という願いの原型が、この社名に込められているとも聞いた。
気仙沼が港町でありながら馬の信仰が根付いた背景には、かつてこの地域が優れた馬の産地であった歴史がある。宮城県北部から岩手県南部にかけては寒冷地で筋肉質の馬が育ちやすく、軍馬・農耕馬の育成が盛んだったという。馬は生活を支える大切な存在であり、その安産や健康を祈ることは、人々の暮らしそのものを守ることに等しかった。
私が訪れたのは夏詣の時期だった。境内には風鈴の音が涼やかに響き、手水舎には季節の花が浮かぶ花手水が彩りを添えていた。津波にも耐えた神馬像「撫で馬」は、地域の希望の象徴として静かに佇んでいる。夏詣限定の「馬九行久守(うまくいくまもり)」は、九頭の馬が描かれた縁起物で、「万事馬九行久(ばんじうまくいく)」の願いが込められている。公式サイトを見ると、この「馬九行久守」が2026年は通年で授与されるという。
午年御縁年の1年間、当社一番人気のお守り「馬九行久守(うまくいく守)」の午年御縁年限定や御縁年限定御朱印などを授与。 境内には津波にも耐えた神馬像の「撫で馬」があり、頭や脚を撫でながら万事うまくいくようご祈念ください。
境内には厄玉を割って祓う「厄割石」や、釣竿で釣る「一年安鯛みくじ」など、参拝者が楽しみながら祈りを捧げられる工夫が随所に見られる。詩人・梶原しげよのギャラリーも併設され、神社が文化の発信地としても機能していることを感じさせる。
▶【宮城県気仙沼市】「早馬」の由来・語源をたずねるin午年の馬の神社「早馬神社」
参考
早馬神社/宮城県気仙沼市/馬の神社午年御縁年 -はやまじんじゃ-
ミヤギテレビ「“万事うまくいく”良き年を願って…多くの参拝客見込む『早馬神社』、「午年」前に正月準備(宮城・気仙沼市)」
【大崎市】荒雄川神社
宮城県北西部、大崎市の山間部に鎮座する荒雄川神社は、水と馬の信仰が交差する聖地である。鳴子温泉郷の奥、鬼首(おにこうべ)にある奥宮と、岩出山池月の里宮が対をなすこの神社は、古代から続く水神信仰の拠点であり、同時に名馬ゆかりの地としても知られている。
主祭神は大物忌神(おおものいみのかみ)。鳥海山に宿るとされるこの神は、穢れを祓い、清浄を司る水神であり、古代より東北一帯で広く信仰されてきた。社殿の背後には荒雄岳がそびえ、雄石・雌石と呼ばれる霊石の下から湧き出る水が荒雄川の源泉となっている。この清らかな水を神霊とし、社殿が建てられたのが荒雄川神社の起源とされる。
境内には雷神社、八幡神社、そして馬の神を祀る主馬神社が並ぶ。主馬神社には、明治天皇の御料馬「金華山号(きんかざんごう)」の木像が祀られており、砲声にも動じず、天皇の騎乗時には膝を折って身を低くしたという逸話が残る名馬である。この木像は明治34年に奉納され、例祭時には御開帳される。
鬼首地域は積雪が多く、冬季の参拝には制限があるようで、必ず公式情報を確認して参拝してください。川渡に社務所があるようで、冬季はそちらの参拝を推奨しているようです。
また、岩出山池月の里宮は、源義経の愛馬「池月」に由来する地名を持ち、古代から馬と深い縁を結んできた。境内には瀬織津姫を祀る水分社(諸説あり)や、カエルの石祠、縄文時代の祭祀遺跡などが残り、馬と水、そして祈りの文化が重層的に息づいている。
参考
荒雄川神社Instagram「鬼首 荒雄川神社 (@araogawa.jinja)、X「荒雄川神社【公式】 (@araogawa_jinja) / Posts / X」
宮城県神社庁「荒雄川神社(あらをかわじんじゃ)」
さいごに
宮城県には、古代から続く「馬の文化」が今も息づいている。仙台平野の肥沃な土地は軍馬・農耕馬の育成に適し、東山道と東海道が交わる交通の要衝であったことから、馬は生活・軍事・信仰の中心に位置づけられてきた。こうした歴史的背景が、宮城に午年ゆかりの神社や寺院が多く残る理由である。
仙台市の馬上蠣崎神社は、伊達政宗の愛馬「五島」を祀る全国的にも珍しい神社であり、忠義と哀惜の物語が今も静かに息づいている。境内には修験道の記憶が残り、良覚院丁公園や緑水庵庭園とともに、仙台の宗教文化と都市の歴史が重層的に重なり合う場所となっている。
一方、仙台市中心部の賢聖院 二十三夜堂は、関東以北で唯一、午年生まれの守り本尊「得大勢至菩薩」を祀る寺院である。月待ち信仰の名残を伝える二十三夜講、静かに祈りを受け止める新本堂、そして「午九(うまく)いく」お守り──午年の人々だけでなく、智慧と勢いを求める多くの参拝者が訪れる祈りの場である。
さらに三陸沿岸の気仙沼市には、安産・子育て・勝負運の神として親しまれる早馬神社が鎮座する。「早馬」という名には「良い知らせが早く届く」「早くうまくいく」という願いが込められている言われており、馬九行久守や夏詣の風鈴、津波にも耐えた撫で馬像など、地域の祈りと文化が凝縮されている。海と森に抱かれた唐桑の暮らしと祈りが交差するこの神社は、気仙沼の象徴ともいえる存在だ。大崎市の鬼首や岩出山には、名馬「池月」「金華山号」ゆかりの荒雄川神社がある。
宮城県に点在するこれらの神社・寺院は、単なる干支信仰の場ではない。馬とともに生きた人々の歴史、土地の記憶、祈りの文化が重なり合い、現代に受け継がれている“文化の交差点”である。午年に参拝するのはもちろん、人生の節目や迷いのときに訪れることで、静かに心を整え、前へ進む力を授けてくれるだろう。
宮城の「馬の聖地」を巡る旅は、干支を超えて、土地の歴史と祈りに触れる豊かな文化体験となる。
投稿者プロ フィール

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地域伝統文化ディレクター
宮城県出身。京都にて老舗和菓子屋に勤める傍ら、茶道・華道の家元や伝統工芸の職人に師事。
地域観光や伝統文化のPR業務に従事。
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