【宮城県】異色!日本唯一の正月飾り「仙台門松」とは?由来や作り方、原材料を解説!仙台門松を訪ねる

仙台門松とは

年の瀬の仙台を歩いていたときのことだった。冷たい風が街路樹の枝を揺らし、吐く息が白く浮かぶ。そんな冬の空気のなか、ふと目に留まったのは、見慣れた門松とはまるで違う、堂々とした佇まいの飾りだった。竹の斜め切りもなければ、三本の束もない。左右に立つ太い柱に松がくくられ、上には横木が渡されている。まるで神を迎えるための「門」そのもののようだった。

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門松といえば、全国的には三本の竹を斜めに切り、松や梅を添えてワラで巻いたものが一般的だ。関東では竹の切り口を「笑い口」として縁起を担ぎ、関西では水平に切って「実を結ぶ」意味を込める。地域によって形や意味はさまざまだが、いずれも「歳神様を迎える依代(よりしろ)」としての役割を担っている。

その中で、仙台の門松は異彩を放っている。まず目を引くのはその高さと構造だ。3〜4メートルにも及ぶ真柱(しんばしら)を左右に立て、横木を渡して門の形をつくる。その柱には三階松(さんがいまつ)と呼ばれる枝ぶりの良い松がくくられ、笹竹が風に揺れる。中央にはしめ飾り「ケンダイ」が下がり、足元には鬼打木(おにうちぎ)と呼ばれる割り木が巻かれている。

このような門松は、全国を見渡しても他に例がない。まさに「仙台門松」は、日本唯一の形式を今に伝える貴重な文化財といえるだろう。しかもこの門松は、江戸時代の仙台城に飾られていたものを再現したものであり、単なる飾りではなく、地域の歴史と信仰、そして山とのつながりを映し出す“文化の門”でもある。

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この門松に出会ったことで、私は仙台の冬の風景に新たな奥行きを感じた。そして、なぜこの地にだけ、こうした門松が生まれ、受け継がれてきたのかを知りたくなった。そうして私は、仙台門松の源流をたどる旅に出ることにした。

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参考

せんだいTUBE「受け継ぐ―仙台の伝統門松―

仙台市「仙台の伝統的な門松を再現しました

みやぎNPO情報ネット「仙台門松・みやぎの発信隊

仙台門松とは

仙台門松の最大の特徴は、その名の通り「門」のかたちをしていることである。一般的な門松が“束”であるのに対し、仙台門松は“構造物”である。左右に立てられた太い真柱に横木を渡し、まさに神を迎えるための門をかたどっている。これは「冠木門(かぶきもん)」と呼ばれる伝統的な門の形式に通じており、仙台藩の格式や武家文化の影響を色濃く残している。

この門松は、江戸時代の仙台城に飾られていたものをもとに再現された。仙台市博物館の調査によれば、当時の門松は直径15センチ、長さ3〜4メートルの栗の木を真柱に用い、そこに三階松や笹竹を添え、根元を楢の割り木で囲んでいたという。さらに、中央には「ケンダイ」と呼ばれるしめ飾りが下げられ、スルメや炭、柑橘などの縁起物が結びつけられていた。

このように、仙台門松は単なる正月飾りではなく、神を迎えるための“結界”としての意味を持っていた。門の形をしているのは、歳神様を迎え入れるための通路を明確に示すためであり、家の内と外、俗と聖を分ける象徴でもあった。門松が「門の松」と書かれるのは、まさにこの役割を担っているからにほかならない。

また、仙台門松には「左右対称性」と「高さ」という美意識も宿っている。左右の柱にくくられた松は、三階、五階、七階と枝ぶりの段数が決まっており、整然とした構造美を見せる。笹竹は風に揺れることで生命の息吹を感じさせ、静かながらも動きのある景観をつくり出す。

このような仙台門松は、現在では仙台市博物館をはじめ、瑞鳳殿や戦災復興記念館などの施設で再現展示されている。

参考

KHB東日本放送「江戸時代の伝統を再現 復活した仙台門松

仙台門松の材料や作り方

仙台門松のもう一つの魅力は、その素材にある。門松を形づくる真柱には、直径15センチ、長さ3〜4メートルにもなる栗の木が使われる。この栗の木をはじめ、三階松や笹竹、楢の割り木など、すべての材料はかつて仙台藩の御林があった泉区根白石の山から切り出されていた。

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この地には「御門松上人(おんかどまつあげにん)」と呼ばれる特別な役目を担った家々があったという。彼らは仙台城に納める門松の材料を調達・製作することを代々の務めとし、その功績により租税の一部を免除されるなどの特権を与えられていたという。とはいえ、五階や七階の松を揃えることは容易ではなく、年末の山仕事は厳しい寒さと重労働を伴うものだった。

昭和40年代、こうした門松の風習は急速に姿を消していった。都市化の波とともに、材料の確保や設置の手間が敬遠されるようになり、仙台市内で仙台門松を飾る家はほとんど見られなくなった。しかし、根白石のある旧家では、父から子へとその技術と精神が受け継がれていたという。

所在地:〒981-3221 宮城県仙台市泉区

仙台市博物館に仙台門松を見に行く

門松とは何か。そう問われたとき、多くの人が「正月飾り」と答えるだろう。だが、仙台門松の姿を前にしたとき、その答えは少しだけ変わるかもしれない。門松とは、ただ飾るものではなく、「迎えるための構造物」なのだ。歳神様を迎えるための“門”をつくるという行為そのものに、仙台門松の本質がある。

仙台門松は、左右に立てた真柱に横木を渡し、しめ飾りを中央に掲げる。これは単なる装飾ではなく、神を迎えるための結界であり、神聖な空間の入口を示すものだ。門の形をしているのは、神が通る道を明確に示すため。つまり、仙台門松は「神様のための玄関口」をつくる行為にほかならない。

この「迎える文化」は、仙台の正月風景に深く根づいている。かつて仙台城の門に飾られていたという記録が残るこの門松は、単なる年中行事ではなく、城下町の格式と信仰を象徴する存在だった。門松を立てるという行為は、神を迎え、年を迎え、自らの暮らしを整えるための祈りのかたちだったのである。

その姿を今、私たちは仙台市博物館で見ることができる。展示室に再現された仙台門松は、想像以上に大きく、見上げるほどの高さがある。太い栗の真柱にくくられた三階松、風に揺れる笹竹、中央に垂れるしめ飾り「ケンダイ」、そして足元を囲む鬼打木。どれもが丁寧に組まれ、静かに、しかし確かな存在感で空間を引き締めている。

展示の前に立つと、まるで自分が神様になったような気持ちになる。門の向こうに広がるのは、現代の仙台ではなく、かつての城下町の正月風景だ。門松は、過去と現在をつなぐ装置でもある。迎えるという行為を通して、私たちは時間を超えた文化の流れに触れることができるのだ。

仙台門松は、ただの飾りではない。それは、迎えることの意味を問い直す、静かな問いかけである。年のはじまりに、誰を迎え、何を迎えるのか。その問いに向き合うとき、門松は私たちの暮らしに、もう一度“節目”という感覚を取り戻してくれる。

仙台市博物館

所在地:〒980-0862 宮城県仙台市青葉区川内26

電話番号:0222253074

まとめ

仙台門松の前に立ったとき、私は思わず背筋を伸ばしていた。その姿には、ただの正月飾りを超えた、何かしらの緊張感と敬意を促す力があった。門松の向こうに広がるのは、かつての仙台城下の風景であり、山から木を切り出し、家々の門前に飾られていた頃の人々の営みである。そこには、年のはじまりを迎えるために、自然と向き合い、手を動かし、心を整えてきた暮らしの記憶が息づいていた。

現代の都市生活では、季節の節目を意識する機会が少なくなっている。年末年始も、カレンダーの数字が変わるだけのように感じてしまうことがある。だが、仙台門松のような文化に触れると、年を迎えるという行為が、かつてはどれほど大切にされていたかを思い知らされる。神を迎えるために門を立てるという行為は、単なる形式ではなく、「迎えること」そのものへの深い祈りと敬意の表れだったのだ。

この文化が今も残っているのは、地域の人々の静かな努力の賜物である。仙台市博物館をはじめとする文化施設では、毎年の展示を通じてこの伝統を伝え続けている。それは、過去を懐かしむためではなく、未来に向けて文化の種を蒔くための営みである。

門松の向こうに見えたのは、宮城の時間だった。山と町をつなぐ記憶、迎えるという行為に込められた祈り、そしてそれを受け継ごうとする人々の姿。それらが重なり合い、仙台門松というかたちになって、私たちの前に立っている。

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年のはじまりに、仙台門松の前に立つこと。それは、ただの見学ではなく、自分自身の時間を見つめ直す行為でもある。迎えるとは、心を整えること。宮城の冬に、そんな静かな節目の文化に出会えることは、何よりの贈り物かもしれない。

投稿者プロ フィール

東夷庵
東夷庵
地域伝統文化ディレクター
宮城県出身。京都にて老舗和菓子屋に勤める傍ら、茶道・華道の家元や伝統工芸の職人に師事。
地域観光や伝統文化のPR業務に従事。

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